ルーマニアの首都ブカレストでは先月、抗議デモの参加者が街の中心部に集まり、ルーマニア国旗を掲げた。ソーシャルメディアには、このデモの様子を写した色鮮やかな写真が並んだ。このニュースはこうしてサハラ砂漠にまで伝わった。
これを見たアフリカ中部の国、チャドの人たちは、ある問題を改めて指摘した。ルーマニアの国旗は、同国の独占物ではない。チャドに所有権があるというのだ。
チャドは27年間にわたって、ルーマニアがチャドの旗を盗用したと苦情を言い続けている。1989年(ルーマニア革命の年)に国旗を採用したルーマニアの政治家は、チャドが既に青、黄、赤の3色の国旗を使っていることを認識していると述べていた。当時フランスの大統領だった故フランソワ・ミッテラン氏は、ルーマニアに対しその国旗を採用しないよう促していた。
「だが、それ(国旗の問題)よりも対処すべきもっと重要なこと(国家再建)があった」と、当時のルーマニア大統領、イオン・イリエスク氏は語った。
チャドの議会は遠方からの抗議を続けている。また、旗について研究する専門家には、旗泥棒だとしてルーマニアを非難する向きもある。
だが、ルーマニア人たちは意に介していない。先月、ブカレスト中心部で行われたデモで、参加者の1人は、「なぜ気にする必要があるのか。チャドはあまりにも遠い国だ」と述べていた。
現代の世界秩序は、国同士の対立をなだめるため、さまざまな制度や組織を確立した。だが、ある国が他の国の旗が気に入らないという場合、それに介入する権限をもつ組織は存在しない。
こういった問題は繰り返されている。ハイチの選手団は第2次世界大戦前の1936年ベルリン五輪に出場したとき、リヒテンシュタインが自国と同じ旗を採用していたことに気付いた。これを受け、リヒテンシュタインは翌年に旗を変更した。
バルカン地域では、1992年の旗をめぐる騒動がいまだに尾を引いている。当時独立したばかりのマケドニアが、16本の光を放つ星を描いた旗を新しく採用した。これはアレクサンドロス大王のシンボルだった。
だが、ギリシャはアレクサンドロス大王がギリシャ人だと主張し、マケドニアに対する経済封鎖に出た。マケドニアは最終的に星を削除し、同国民がアレクサンドロス大王の子孫ではないという公式声明を出した。
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